ダメ人間ブログ

30代職歴なしニートの闇を放出してるブログです

「死にたい」というより「もう生きなくてもいい」という感覚になってるニートの話

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30代職歴なし、生きる事への執着がもうないニートです、こんにちは。


ここ最近、本格的に人生をあきらめるという境地に近づいている感じがします。


もうさ、どうでもいいんだよね、幸せとかさ・・・


なんかね、すべてを投げ出したいというか、もう手放してるような感覚に近いです。


このブログでよく「死にたい死にたい」って人生を諦めた死にたい系の記事を書いていたんですが、それとはちょっと毛色が違います。


「死にたい」っていうか「もう生きなくてもいい」という感じなんですよね。


これ、似てるけど微妙に違うんです。


「死にたい」というのは自らの手で人生を終わらせる感じ・・・


「もう生きなくていい」というのは流れに任せて死を受け入れる感じ・・・


なんていうか「生」への執着が失われた状態を示します。


死に向かう積極性が微妙に違うんです。ちょっと分かりずらいかな?


私自身もなんて言ったらいいかよく分からなかったりするんですけどね・・・


今回はこの新たな死への感覚である


「死にたい」というより「もう生きなくてもいい」


という感覚について書こうと思います。


「死にたい」というより「もう生きなくてもいい」

「もう生きなくてもいい」


これは一種のあきらめから来た感覚ですね。すべてをあきらめた今、新たに芽生えた感覚です。


ニートとして生きてきたこの10数年、そしてこの先、もうどうにもならないのを悟った先の考え方です。


もう未来に希望もないし、生きてる意味もない、だったらもう生きる意味はないんじゃないかって感じでね。


なんていうか、もう私の人生は取り返しのつかない状態にあるというのを悟った感じです。


「いや、今さらかよ!もう8年くらい前から終わってただろ!」


というツッコミが聞こえてきそうですけどね。


ずっと分かっちゃいた、でもどこかあきらめ切れない部分があった、でもようやくあきらめがついた、そんな感じです。


長かった・・・ここまでニートとして生きてきて、ようやくニートとしての最終地点にたどり着いたのかもしれません。


そんな感じで、生きるメリットが見出せないので「生」への執着はもうないです。


生きる必要性を見出せないので、あとは流れで死ぬだけという穏やかな気持ちですね。


もう無駄に生きながらえるつもりはないですから。


すべて流れを受け入れて自然に死んでいけたら本望です。


例えば、ガンだと診断されたら入院して辛い治療をするんじゃなく、あとはなるべく苦しくなく最後を迎えられるようにターミナルケアを望むみたいなね。


死が近づいたらそれを否定せず、そのまま素直に受け入れて死にたい、それが現状の素直な気持ちです。


このガンというのもけっこう他人事じゃなく、私は地味に病気を患ってるので、これがものすごく悪化したらありえなくもない話です。


まぁ現状は命に別状はない病気なんですが、3年以上治らない現状からもうあきらめた感じもありますし、これをキッカケに死んでもいいかなと思っています。


もう「なるようになれ」とすべての流れを受け入れる・・・これこそ死に向かうための境地なんじゃないかと思います。


死にたいけど死に切れない人にとってこれ以上ないあきらめの境地ですね。


人生をあきらめる


この感覚を素直に受け入れられなかったからずっと苦しくて辛かったんじゃないかと思います。


足掻いても無駄ならもう何もしない、それでいいじゃないかと。


なんかスッキリしましたね。


あきらめるとそれはそれで色々軽くなった感もある

こういう感覚になってからというもの、なんだか人生が穏やかです。


あ~、もう終わりを迎えるだけか、どんな終わりになるのかなぁ、早く楽になれるといいなぁ・・・


ってね。すべてがどうでもいいので難しいことを考える事もなく清清しい気持ちですね。


なんだか物事をスッキリ完結に考えられるようになったような、すべてが軽くなったような気がします。


私の病気は地味に波があって苦しい時もあるんですが、病気が悪化するのも1つの流れとして、そして自然な死に繋がる一歩かもしれない、と自然と受け入れられるようになりました。


もういいんだと、これが終わりに向かう人生の流れなんだと・・・


むしろこのまま本当に命に関わるくらい悪化して、そのまま死に向かわせてくれと思わなくもなかったりね。


この先、長く生きることを考えなくてもよくなったので、流れで死を受け入れるっていうのは意外と良い事なんじゃないかと思います。


あとは死ぬだけ、ようやく人生を終わりにできそうな感覚・・・これは悪くないですね。


長年ニートをしてきて人生に絶望し、もうあきらめるしかなくなった人がいたらちょっとやって欲しい考え方だと思います。


もうあきらめちゃいましょうよ。無駄ですよ、人生をやり直すなんて、苦労して苦労して失敗してまた落ち込むだけです。


すべてを受け入れて死まで見据えるとそれはそれでまた新たな何かが見えたりしますしね。


なんかね、死を受け入れるとすごく冷静になって、その終着点までにあと何をするかとかがちょっと分かるんだよね。


死ぬまでの道が見えるみたいにね。


ニートとして生きてきたこのゴミ人生、もうあとは長くないのは確実なので、ぼちぼち余生を生きようと思います。


最後に

すべてをあきらめる「もう生きなくてもいい」という感覚、これこそニートの終着点かもしれません。


生きる事に執着しなければ、もうすべてがどうでもよくなって逆に冷静になったりしますよ。


やっぱりさ、悩むっていうのは「生きたい」っていう欲望があるからこそ起こる事なんだと思うんですよ。


まだまだ続く人生の先の先まで考えるから色々と悩んじゃうっていう事もあるわけですしね。


まともに生きていける人はそれでもいいです、充分幸せになれる可能性を持っているわけですから。


でも、先の人生に希望がないニートはそういうのを考えるとただ辛いだけです。


明るい未来なんて見えないでしょ?なんか泥っていうかヘドロみたいなのにまみれたドス黒いドロドロした闇しか見えないでしょ?


そんなんさ生きてもしょうがないじゃないですか。もうあきらめちゃいましょうよ。


楽になりますよ。すべてがどうでもよくなると何もかも吹き飛びますから。


別に無理して苦しみながら生きる必要もないと思うんですよ、生きる価値もないんですから。


もう生きなくてもいい


この感覚を持って、ちょっと人生をあきらめて遠くから見てみる感じになってみませんか?


なんかね、ニートとして生きなきゃいけなかったゴミ人生とはまた違った変な感じの物が見えるかもよ。


終わりの見えない地獄をくぐるんじゃなくて、終わりを見定めてそこに向かっていく新しい感覚。これいいよ、オススメ。


さっきまで見えていた暗黒とは違った方向に進めるような清清しい感覚になるから。


長年ニートをしてきたなら、もうどうしようもないのは感じてますよね?


じゃあもうあきらめちゃいましょう。すべて捨ててさ。


それでいいじゃん、生きることに執着する意味なんてないんだからさ。


だってそんなに生きたい?こんな人生終わらせたいって思わない?だったら終わりを見定めましょう。


あとはすべて流れに任せてそのまま死ぬ時が来たら死ぬ、それでいいのよ。


ニートにはあきらめも大事、これはホント、無理なもんは無理だから。


生きることに執着しないでちょっと流れで死を受け入れる、それはそれで悪くないからさ。


人生をあきらめてぼんやり冷めた目で生きてみる、これはこれでいいもんですよ。


ホント、楽になるから、人生をあきらめて流れで死を受け入れて余生を軽~く生きてみましょう。